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大晦日に賀状をポストに投函し、その数時間後の元旦早々から年賀葉書を買いにコンビニへ出かけた。それを皮切りに良いことも悪いことも含め毎日外出し、きょうまで慌ただしく過ごした。何だか今年は忙しくなるのかと思ったりもするのだが、とにかく平和で元気に過ごしたいものだと願う。

日頃からテレビは特定な番組以外は殆ど見ないのだが、偶然「ウーマンラッシュアワー」というお笑いコンビを目にした。社会問題、政治批判を五分余りの時間に凝縮し猛スピードでリズミカルに喋る。日頃思っている疑問や理不尽がたてつづく内容に聴衆は思わず心奪われ笑う。聴衆を笑わせておいて一番問題なのは、笑っている「お前たちだ」と聴衆を指さして終わる。
危うい政権を選んでいるのは「私たち」なのだとい根源的な問題をネタに終始していることに、戸惑いもあり面白くないという意見もあるという、けれど識者からは賞賛の声が相次いでいる。欧米では、芸術家や俳優、タレントが堂々と政治批判する。日本の報道の自由度は世界72番目だ。

私が昨年に制作した作品で一番気に入っている一点を20日からSHUMOKU GALLERYの一階スペースで展示致します。機会がありましたらご高覧ください。二階のスペースではNippon Modern Art1950-1959が開催されます。高間惣七、猪熊弦一郎、佐藤敬、香月泰男、オノサト・トシノブ、菅井汲、堂本尚郎、古沢岩美、脇田和ら日本の現代美術を支えた重鎮。私が憧れ影響を受けてきた作家ばかりだ。堂本尚郎氏には晩年何度かお会いする機会もあり会食もした.。格調高い静かな会話に畏敬の念を抱いたものだ。
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2018.01.25 / Top↑
偶に立ち寄る骨董店で羽永光利氏の写真集を見せてもらった。およそ七センチほどの分厚いものだ、驚いたのは戦後間もない前衛芸術家といわれた美術、文学、演劇界などの人々が殆どが網羅されていることだった。飯島耕一、東野芳明、大岡信、西脇順三郎、瀧口修造、赤瀬川源平、土方巽、池田満寿夫、田中信太郎、中西夏之、草間彌生など枚挙にいとまもない。当時、私自身も羨望の眼差しでお会いした人々も含まれていて思わず購入し魅入ってしまった。いまでは世界で評価されている日本の芸術の主流達ばかりだ。彼ら前衛芸術家を撮りまくった写真家・羽永光利氏の感性の鋭さには驚きを覚える。

夏の終わりごろだった私のブログを見つけたと卒業生からのコメントが届いていた。その卒業生は卒業式の日に私に会うことが出来なかったと謝辞を書いたカードを研究室に投函した学生だった。当時、私は雑務に追われ席を外していて、殆どの学生とは会うことが出来なかったのだが、何故か申し訳けない気持ちが残り気になっていた学生だった。拙いブログを見つけ知らせてくれたのは嬉しいものだ。
卒業生の家族から一通の喪中葉書が届いた。その教え子は私の知り合いの研究所で長く働いてくれたことがあった優秀な学生だった。先逝く教え子の知らせほど名状し難い悲しみを覚えるものだ。

11月の末に私が若い頃からいつも駄法螺なことを言い合ってきた友人で作家の出版記念会を開催した。五年前に突然に倒れリハビリをしながら書いたという著書の披露と励ます会でもあった。「小島信夫の文法」「年表作家読本・中原中也」「いま兜太は」(金子兜太)の三冊が闘病生活の中で書かれたものだ。驚くべき創作意欲と仕事量に感嘆したのだが、著書はそれだけではなかった。励ます会どころか、集まった多くの出席者には逆に大いなる勇気と励ましをもらったようなものだった。

年の瀬も迫り賀状の手書きは今年も大晦日まで続きそうです。
みなさま佳い年をお迎えください。



2017.12.18 / Top↑
先年、ミラノを訪れたときミラノ中央駅が巨大な鋼鉄で覆われたホームに圧倒された記憶がある。巨大な駅はファシスト、ムッソリーニの権力の象徴だといわれる。映画「ひまわり」はそのホームから以前戦場に行く若き夫を見送った。そして同じホームから再会したが戦争で失われた時を取り戻すことは叶わず愛しながらかっての夫を見送る。ミラノ中央駅でのラストシーンだ。マルチェロ・マストロヤニとソフィア・ローレンスの二人の魅力についアーカイブのフイルムに魅入つてしまった。私がミラノを訪れた理由は20年に及ぶ修復を一人の偉大な女性修復家ピニン・ブランビッラー氏の偉業によって蘇ったサンタ・マリア・デッレ・グラツイエ修道院の「最後の晩餐」を観るためだった。だがもう一つの理由に古い友人に会うためでもあった。行く前から連絡をとったが応答がなく心配はしていた。ミラノに着いて友人を知る関係者に消息を訊いて歩いたがどうやら会いに行くのが遅すぎたようだった。


テレビ画面に池田満寿夫さんの顔が大きく映りだされた。妻の佐藤陽子さんに向かって写楽への推理を誇らしげに語っていた。 推理ドキュメント「 謎の絵師・写楽」が再放送された。以前見たことは殆どが記憶から消え、まるで初めて見るかのように魅入った。写楽は江戸時代の中期に10ヶ月余りという短い期間に役者などの作品を残し忽然と姿をけした浮世絵師。生没など経歴はさまざまな研究がされてきた。
池田満寿夫さんの感性を頼りに写楽はいったい何者だとせまったドキュメンタリーフイルムだ。そして一人の役者にたどりついたのだった。
撮影された当時池田さんは多分40代後半だっただろうと思う。妻の佐藤陽子さんはそれよりずっと若い。瑞々しく語る二人の姿がやたら懐かしい。私が知る池田さんは世界に羽ばたき始めたころだった。意気揚々弾けんばかりの勢いでかっこ良かった。憧れもした。生き方に大いに影響をうけたものだった。
2017.11.25 / Top↑
堀辰雄の作品に憧れ毎年、晩夏に信州を訪れるのが私の楽しみだった。けれど今年は松本の音楽祭にも八ヶ岳で制作する古くからの友人のアトリエも訪ねることが出来なかった。それは制作に籠り余裕を失っていたからだった。今夏は日本中が夏らしい空を見ることなく秋を迎えることになった。八月九日長崎原爆の日に被爆者協議会議長の川野浩一氏が安倍総理に面と向かって「あなたはどこの国の総理ですか」と詰め寄った。お友達の為の政治を展開する安倍総理に、多くの国民の思いを代弁するかのようなような厳しい言葉だった。

散歩から戻ると私の家の前に美しい車がとまっていた。20年ほど前に生産されたイギリスの名車だ。突然の客人に挨拶抜きにその場で車談議がはじまってしまった。客人はロンドンの名門モッシマンズから招待をうけた和食の職人だ。開店のおりには推薦文をかいた。とにかく入りにくい店構えで、まるで入店することを拒否するかのような閉ざされた構えだ。また店の包装紙には私の絵柄が採用されている。店の構えもそうだが、難解な私の造形を包装紙にしようとするセンスは明らかにアブノーマルのように思える。事を極めようとすればするほど人は去り孤独だという。精神の成長に孤独は重要だとエールを送った。突然の一家言ある青年の来訪は大いなる刺激だった。
2017.09.03 / Top↑
東北に住む古くからの友人から今年も美しいさくらんぼが届いた。桜桃忌も一緒に行った仲だ。昨年は東北でも芸術祭がおこなわれたという。近年、日本各地で町おこしにトリエンナーレ、アートフェアといった芸術祭が開催されるようになった。文化が経済を支えるようになれば素晴らしいことだ。

約800点余りの応募から15点が選ばれたという超難関の「第一回ぎふ芸術祭」を鑑賞した。トリエンナーレ形式にしてはコンクールはめずらしい。審査員も文学者、哲学者、ダンサーとそれぞれの分野で活躍する人たちで、どんな先鋭的な作品が選ばれているのかと大いに期待した。世界的な美術コンクールはそれなりに難関であるが、ぎふ芸術祭の倍率は桁外れな倍率だろう。たぶん落選した作品に良い作品があったのだろうと推察できる。

芸術祭の帰り道でカツ丼の店を見つけ車を徐行し店の構えをみて、いけっそうだと思い、はいてみた。メニューを見る間もなく「カツ丼」を注文した。しばらくして運ばれ丼ぶりの蓋を開けるなり私が期待したにおいではなかった。けれどお腹も空いていたこともありカツを一口食したのだが私がイメージしていた味とかなりの差があった。店主に「これがカツ丼かと」文句の一つくらい言いたいぐらいだった。しかし味も人それぞれだと思い店を後にした。私はこれまでに不味いと激しく感じた店にはいてしまった不幸はこれで三軒目になる。
2017.07.02 / Top↑

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