東北に住む古くからの友人から今年も美しいさくらんぼが届いた。桜桃忌も一緒に行った仲だ。昨年は東北でも芸術祭がおこなわれたという。近年、日本各地で町おこしにトリエンナーレ、アートフェアといった芸術祭が開催されるようになった。文化が経済を支えるようになれば素晴らしいことだ。

約800点余りの応募から15点が選ばれたという超難関の「第一回ぎふ芸術祭」を鑑賞した。トリエンナーレ形式にしてはコンクールはめずらしい。審査員も文学者、哲学者、ダンサーとそれぞれの分野で活躍する人たちで、どんな先鋭的な作品が選ばれているのかと大いに期待した。世界的な美術コンクールはそれなりに難関であるが、ぎふ芸術祭の倍率は桁外れな倍率だろう。たぶん落選した作品に良い作品があったのだろうと推察できる。

芸術祭の帰り道でカツ丼の店を見つけ車を徐行し店の構えをみて、いけっそうだと思い、はいてみた。メニューを見る間もなく「カツ丼」を注文した。しばらくして運ばれ丼ぶりの蓋を開けるなり私が期待したにおいではなかった。けれどお腹も空いていたこともありカツを一口食したのだが私がイメージしていた味とかなりの差があった。店主に「これがカツ丼かと」文句の一つくらい言いたいぐらいだった。しかし味も人それぞれだと思い店を後にした。私はこれまでに不味いと激しく感じた店にはいてしまった不幸はこれで三軒目になる。
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2017.06.28 / Top↑
先週末、アメリカの大学でギター奏法の研鑽をし帰国した時以来の友人であるギタリストのコンサートに出かけた。アンコールの最後に必ずタレガ作曲の「アルハンブラの思い出」を弾いてくれる。小品でよく耳にするギターの名曲だ、シンプルな曲のように思うがトレモ奏法を活用し高度なテクニックを要する難曲である。帰国したころにはコンサートを企画したりして応援をしてきた。今ではホールを一杯に出来るほどに成長し、鳴りやまない拍手に感慨深いものがあった。

私がギターの魅力を知ったのは、学生時代にJR高円寺駅南口から商店街を10分ほど歩いたところのアパートに住んでいたギタリストの演奏を聴いたのがはじまりだった。そのギタリストは小原安正という日本のクラシックギターの祖といわれた人の最初の弟子だといっていた。いつ行っても六畳のアパートでギターを弾いていた。プラスチック製のレコードプレーヤーでセゴビアやイエペスの演奏を聴かせてくれた。

演奏が一旦終わると必ずおやつ代わりに信州そばの出前をとってくれた。当時いつも腹を空かしていた私にはそれが楽しみで行くようなことでもあった。年齢は不詳だったが当時、イエペスのように頭髪はなく、私より一回り以上は年上の感じだった。演奏もさることながら、ダダ的な文学の話や政治の話をよくしてくれ常に挑発的な会話に引き込まれた。大学の授業よりはるかに面白く一時期はその人のアパートに入り浸りで、やがて出入りは玄関口からではなく窓を乗り越えて直接部屋に出入りするようになった。有名な大学を二つも卒業しているというのに演奏とかで働きに出かける姿を見たことも聞いたこともなく不思議でならなかった。
2017.05.30 / Top↑
個展2017


ギャラリーの二階の窓から桜が満開に見えるころに個展ははじまった。そして春の嵐で桜の花
が散り始めたころに終了し、通路はピンクの花びらの絨毯が敷かれているかのように美しい。
多くのみなさんにご高覧いただき,有難うございました。また新たな思考の機会を与えていただ
き感謝いたします。春の鋭角な光の中で新たな出発です。

2017.04.21 / Top↑
私が東京で生活している頃、さくらの咲く華やぐ季節は、いつも友人たちの誰かが都落ちしたり旅に出かけたりして、私は一人寂しくなる春が好きではなかった。けれどある夏の終わりに知り合った一人の人物からノートの端きれに地図と住所が書かれた紙切れを渡され、遊びに来ることを勧められた。紙切れを渡されてから半年ぐらいたった春に私はその人物の下宿を訪ねたことがあった。庭には大きなさくらが二階の窓から妖艶に咲き誇っているのが見えた。甘美で妖艶なほど美しく咲いたさくらを見た私は、それ以降、春を美しく見ることが出来るようになり孤独からも一時的にせよ救われたのだった。不真面目な知識人のような魅力ある人物との邂逅が私の青年期を支えたかもしれないと想うことがある。

娘が小学校に入学した時、娘の背丈ほどの細いさくらの苗木を一本買い庭の隅に記念樹として植えた。そこには明るいさくらの花に託した平和と娘の幸福への願いがあった。今では道路にはみ出す程に成長し近所の人たちが散策で行き交たびに、今年も綺麗に咲きましたね、と声をかけてくれる。けれど、さくらの美しく散る様が、昨今は国の為に散る自決のイメージとオーバラップする。教育勅語を否定しないという時代。安保法制せよ共謀罪にせよすべてが済し崩しに戦前戦中に回帰する空気が怖い。


個展のお知らせ
港区のMATnagoyaで開催された「絵画の何か:ニュー・オールド・マスター展」には多くの皆さんにご高覧いただき有難うございました。館内に掲示された経歴に沿いながらのインタビュー記事が大変好評だった。二ヶ月間に及ぶ会期も3月25日に無事終了いたしました。続いて4月早々から展覧会を致します。ご高覧いただけましたら幸いです。

展覧会名:山村國晶2017展
会   期:2017年4月5日(水)~4月16日(日)11時~18時11日休み。
会   場:SHUMOKU GALLERY(名古屋市東区橦木町2-25電話052-982-8858)
2017.04.04 / Top↑
私自身の青春と重ねるような想いで愛読した五木寛之の名著「青春の門」が23年のブランクを経て再スタートした。主人公の伊吹信介は九州・筑豊から上京することの理由を・・・具体的に自分の人生をささげつくす対象が彼には摘めないのだった。「それを見つけに行くのだ」信介は口の中でそうくり返した・・・(青春の門、筑豊編最終章より)。
私は現職時代に筑豊編から自立編を入学まもない学生たちに読むことを薦めた時期があった、けれど時代の流れの中で応答する学生は徐々に少なくなっていった。
再スタートした五木寛之氏は青春を遠く離れた玄冬の果てにいるという。第九部となる「漂流編」がどんな物語を展開するかは五木文学フアンにとって興味深いところだ。書籍になるのを待つにはあまりにも遠すぎる。まずは掲載される週刊誌を買いに行くことになったが、再開早々苦境に立たされているようだ。「馬鹿も利口も命は一つたい」と信介の父、重蔵の言葉をつぶやいていた。

敬愛する馬場駿吉氏が名古屋出身で国際的に活躍し6年前に定住先のニューヨークで亡くなった美術家、荒川修作論を出版した。馬場駿吉氏は俳人で元々は医学者で大学病院の院長だった。現在は名古屋ボストン美術館館長を務め美術批評はじめ多義にわたる文芸批評をされる。早くから荒川修作氏と親交のあった馬場氏が語る荒川芸術は私の知る荒川芸術よりはるかに興味深く一気に読み入ってしまった。難解だといわれる現代美術を荒川芸術を通して分かりやすく語りかけている。

五木寛之氏と馬場駿吉氏はともに同い年だが、ともに今が青春のごとく夢にむかって驀進している。人は夢を失ったときに老いるといったS・ウルマンの言葉がよぎる。厳冬がつづく、春を待ち遠しく思う。

トークショーのお知らせ
現在開催中の「絵画の何か:ニュー・オールド・マスター」展(2月28日~3月25日*日・月休館*会場:MATnagoya名古屋市港区名港1-19-1 MINATOMACHI POTOLUCK BULILDING3F:電話052-654-8911:地下鉄:名港線・築地口下車2番出口徒歩1分)3月11日(土)午後2時~4時・アーティスト・トークを致します。予約不要
2017.03.05 / Top↑