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12月の初旬に毎年決まって個展を開催するという、案内状が今年も届いた。もう10年以上も続く。会場には殆ど作品らしきモノは置かれていない。こうした光景は現代美術では珍しくはない。けれど毎年同じような行為が同じ時期に行われていることには何か作者の意図することがあるのではないかと、言われるようになった。私はたまたま会場に居合わせた人に其の想いを訊ねてみた。するとその人は12月の最初の週に作者のモニュメンタルな日が存在しているのではないでしょうかと、話してくれた。そして、なおもその人は自分の亡羊とした過ぎし日を、なぞるように毎年それも10年以上も続いていることは凄いことですねと、私に同意を求めるように語り、会場に立ち尽くしていた。
人は日々溢れるほどの情報が降り注ぐ生活のなかで、一つの出来事だけを忘れずに抱き続けることは出来るのだろうか。だとしたら、この不可解な個展には作者の人生を今日まで支えてきた重要な出来事の日が隠されているのだろうかと、思うと胸が熱くなるのだった。

外出先で昼食をしようと店をさがし、昭和の風情の残る洋食屋を見つけてはいた。ラストオーダー前だったせいか店内は空いていた。案内された席に着くと、横と後ろの壁面に私の作品が飾られているのが目に飛び込み驚いた。その作品の一点は私にとって重要な作品だった。食事が運ばれる間に作品に近付き懸命に見た。額にはめられていたガラスが汚れているのと店内が明るくないせいか、傷み具合など画面の詳細は分からなかった。
店員に飾られた絵について訊いてみようと何度も思った。けれど若い店員はおそらく何も知らないだろうし、唐突な客からの質問に戸惑うだけだろうと思い訊くことはなかった。それでも食事を済ませ店を出る時に思い切って店主を呼び、作品を買い戻したい旨を伝えたいと思ったのだが、やはり言えなかった。
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2018.12.17 / Top↑
モーツアルトを聴きながらの運転は疲れが和らぐと音楽好きな友人が教えてくれたことがあった。先週のはじめに詩人で建築家の立原道造が愛した清涼で「美しい午前の光」にみちた風景を見に出かけた。往復7時間余りを一人での運転は少しきつかったが、マンネリ化しそうな制作の日々を少しは変えられた想いだった。
ジャコメッティの著書などで知られる哲学者の矢内原伊作は、堀辰雄の「風たちぬ」の解説の中で、立原道造の詩に少し触れている。それは危険なほど純粋な詩人だと評している。立原道造は戦後日本のモダニズム建築を牽引した丹下健三の一級上で建築家としても優秀だった。けれど13歳の時に既に北原白秋を訪ねていて、詩にも造詣が深かったようだ。
私は現職時代に上司から純粋すぎるから危険だと言われたことがあった。その時、滑稽なことを言う上司だと苦笑いしたことを思い出す。

一柳慧が文化勲章を受章した。学生時代に現代音楽なるものを聴き、フルクサスを知るきっかけになった。図形楽譜や反芸術に憧れ導いてくれ、大変影響を受けた一人だ。
草間彌生も一昨年に文化勲章を授章した。近年、かっての前衛が今では主流になってしまった。
文化勲章を辞退した、河井寛次郎や熊谷守一のような最後までアウトローで一市民でいたい想いも立派だが、現代美術や現代音楽が唯の変り者がする意味不明の芸術だという印象を外すには、時に分かりやすい勲章かもしれない。

蓼科高原で小さな風車とドライフラワーの花束とリンゴジャムを買った。風車は庭に設置して晩秋の風を受けくるくると回っている。ドライフラワーは仕事場の床に置いた。11月の光はなにもかも透明にしてくれると友人の詩人が書いてくれたことがあった。

2018.11.20 / Top↑
美術史家の高階秀爾氏がパリ留学から帰国して間もない頃、スリーピース・スーツを着こなし教壇にたった姿を今でも鮮烈に覚えている。ダンディでエレガンスな雰囲気は当時、美術を学ぶ学生にとっては強いあこがれを抱かせるものだった。

かっての高階秀爾氏を想起させるようなスーパーエリートの若い美術史家から八月某日12時**分にそちらの駅に着くとメールが入った。その日は40度余りの猛暑日だった。私は30分ぐらい前から小さな駅舎の待合で一人の来訪者を待った。高階秀爾氏の後輩にあたるが、留学先はパリではなくニューヨークだったという。駅から10分ほど車で走り私の仕事場に案内した。仕事場が待庵ほどの空間だと前もって伝えてはあったので、狭小空間にはあまり驚いたふうではなかった。中学生時代の作品から現在制作中の作品まで観た後に、イーゼルに掛けてあった「けん玉」を手にしてハイレベルのけん玉を披露してくれた。そうして話し込んでいる間に帰る時間が迫り、急いで駅まで送った。

お知らせ
広島で展覧会を致します。1980年代の重要な作品から新作までを発表いたします。
機会がありましたら、ご高覧ください。

展覧会名:山村國晶展
会   場:天満屋広島八丁堀美術画廊
会   期:2018年8月29日(水)~9月3日(月)
個展用テクスト  B5 10頁

2018.08.24 / Top↑
私が上京し予備校に通い始めた頃、友人に誘われよく新宿にあった木馬や風月堂に行ったことがあった。店はいつも若者で混み相席はあたりまえだった。あるとき相席した若者が私は詩人だと言って「詩人」と書かれた名刺を差し出してくれたことがあった。高校生のころに名刺というものを受け取ったことはなかった私には至極新鮮だった。何よりも「詩人」と名乗ることに強烈な驚きを覚えた。当時、私と同年齢ぐらいに見えたのだが、眼光はするどく、私はひどく引け目を感じ都会には凄い若者がいるのだとショックをうけた。
私も詩は嫌いではなかったし高校時代の友人でフランス文学に熱中していた偏屈者がいた。その友人からダダなどの先鋭的な詩を教えてもらい随分影響を受けた。その友人は後に仏文科の教授になった。

過日、一人の若者から詩集を作ったから読んでほしいと連絡をもらった。今の若者が詩集を作ることは日ごろあまり耳にしたことが無く至極新鮮だった。私が学生時代によく街で「私の詩集」を買って下さいと書かれた段ボールを首にかけ、ガリ版刷りの素朴な詩集を売っていた若者がいた。孤独とか不条理を詠った青年期特有の鋭角な感性の内容だった。そんなことを思い出しながら約束の場所に行き詩集を見せてもらい、一冊買った。孤独とか不条理とかと言った心に突き刺さるようなインパクトのあるものではなく、憧れや夢を湧きたたせるような美しい言葉だった。いささか肩透かしをくらった想いだったが、ネットなどに夢中になっている若者が多いいま、詩を作るという言葉を大切にする生活に憧れているという若者になんだか心惹かれたのだった。

東大安田講堂前の地下食堂に飾られていた宇佐美圭司氏の大作が廃棄されたという。宇佐美圭司氏は私が学生の頃よく訪れた日本橋の南画廊で何度かお会いしたことがあった。当時、先鋭的な新しい絵画の騎手として注目され憧れた作家だった。今では日本を代表する重要な作家だ。作品はコレクターがなかなか手放さなくオークションにも滅多に出ない貴重な作品ばかりだ。廃棄したとは信じがたいのだが愚かとしか言いようがない想いだ。
2018.05.10 / Top↑
今年早々に東北に住む知人から春には故郷にもどりたいという事情が綴られた分厚い手紙が届いた。永年慣れ親しんだ地を離れるのは心痛むことだろうと、返事を書いた。それから三か月余して、先ごろ引っ越してきてしまったと、メールが届いた。私の懐かしい青春がもどってきたような嬉し知らせだった。

「もの派」展。今、世界が注目する日本の前衛美術の展覧会が銀座のデパートで開催されていると友人から連絡を受け早々に観にいった。関根伸夫、菅木志雄、原口典之ら懐かしい面々。保守的なデパートが戦後最も難解とされた「もの派」展を開催したのは驚きだった。作品の値段も草間彌生には及ばないにせよ、アカデミックな絵画よりはるかに高額だ。係の店員に銀座のデパートはファイン・アートも流石に前衛を行きますねと、話しかけると嬉しいですねと話が弾んだ。

品川・御殿山にある原美術館では館長の原俊夫氏が初めて自ら選びキュレーションしたコレクション展「現代美術に魅せられて」展は魅了された。ラウシェンバーク、ジャスパー・ジョーンズ、ジャン・ティンゲリー等私が学生時代に胸を躍らせて観た作品ばかりに心癒される展覧会だった。原美術館は小さな美術館だけれど現代美術の一級品ばかりにコレクターの感性の鋭さには驚くばかりだ。

有楽町の東京国際フォーラムで開催された「アートフェア東京2018」にはご高覧頂き有難うございました。会場でお会い出来なく手紙やメールを頂いた方々に、この場をかりてお礼申し上げます。164画廊、4日間で60029人の入場者だったとのこと。美術の祭典のようでもあった。また新しい若い世代の作品の一端を観る思いでもあった。

教育現場に国が介入するという、恐ろしい事件。公文書改ざん事件、権力の不穏な動きに毎日不快な思いが続く。過日、ニューヨーク・フィルと五島龍のヴァイオリンを聴いた。音楽による慰めのひと時、ストラヴィンスキーの「春の祭典」は圧巻だった。

お知らせ
ART BUSAN 
INTERNATIONAL ART FAIR 2018 KORE
20Apr-22apr 18
BEXCO EXHIBTION HALL
SHUMOKU GALLERYより出品いたします。

2018.03.31 / Top↑