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古民家をリノベーションしたイタリア料理店を久し振りに訪ねた。京都の町屋を彷彿させる情緒あふれる佇まいと雰囲気はビルが林立する殺風景な都市空間にはほっとする贅沢な空間だ。案内され席に着き料理を待つ間、壁に掛けられた二点の木版画が目にとまり、私は席を立ちポケットから車のキーに付けられた小さな懐中電灯を取り出し版画に記されたサインを確認した。挙動不審な動きに若い店員が私を不思議そうに注視しているようだった。私が川上澄生の作品であることを告げると、店員はオーナーの趣味だと笑顔で話してくれた。

棟方志功が木版画を始めたのは川上澄生の「初夏の風」という作品に触発され猛然と始めたという。かって、そのことを津軽弁で語ってくれたことがあった。「かぜとなりたや はつなつの かぜとなりたや かのひとのまえに・・・」。この詩は「初夏の風」に彫られた詩で、「かのひと」とは川上澄生の初恋の女性だったという。

ほかにも竹下夢二の作品も数点飾られていた。竹下夢二は「宵待草」で一世風靡した恋多き人生であった。130年ほど前の古民家に大正ロマンの作品はよく似合う。作品に思いを馳せながらの食事は一段と料理が美味しくもあり粋な時を過ごすことができたのだった。
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2019.02.01 / Top↑
12月の初旬に毎年決まって個展を開催するという、案内状が今年も届いた。もう10年以上も続く。会場には殆ど作品らしきモノは置かれていない。こうした光景は現代美術では珍しくはない。けれど毎年同じような行為が同じ時期に行われていることには何か作者の意図することがあるのではないかと、言われるようになった。私はたまたま会場に居合わせた人に其の想いを訊ねてみた。するとその人は12月の最初の週に作者のモニュメンタルな日が存在しているのではないでしょうかと、話してくれた。そして、なおもその人は自分の亡羊とした過ぎし日を、なぞるように毎年それも10年以上も続いていることは凄いことですねと、私に同意を求めるように語り、会場に立ち尽くしていた。
人は日々溢れるほどの情報が降り注ぐ生活のなかで、一つの出来事だけを忘れずに抱き続けることは出来るのだろうか。だとしたら、この不可解な個展には作者の人生を今日まで支えてきた重要な出来事の日が隠されているのだろうかと、思うと胸が熱くなるのだった。

外出先で昼食をしようと店をさがし、昭和の風情の残る洋食屋を見つけてはいた。ラストオーダー前だったせいか店内は空いていた。案内された席に着くと、横と後ろの壁面に私の作品が飾られているのが目に飛び込み驚いた。その作品の一点は私にとって重要な作品だった。食事が運ばれる間に作品に近付き懸命に見た。額にはめられていたガラスが汚れているのと店内が明るくないせいか、傷み具合など画面の詳細は分からなかった。
店員に飾られた絵について訊いてみようと何度も思った。けれど若い店員はおそらく何も知らないだろうし、唐突な客からの質問に戸惑うだけだろうと思い訊くことはなかった。それでも食事を済ませ店を出る時に思い切って店主を呼び、作品を買い戻したい旨を伝えたいと思ったのだが、やはり言えなかった。
2018.12.17 / Top↑
モーツアルトを聴きながらの運転は疲れが和らぐと音楽好きな友人が教えてくれたことがあった。先週のはじめに詩人で建築家の立原道造が愛した清涼で「美しい午前の光」にみちた風景を見に出かけた。往復7時間余りを一人での運転は少しきつかったが、マンネリ化しそうな制作の日々を少しは変えられた想いだった。
ジャコメッティの著書などで知られる哲学者の矢内原伊作は、堀辰雄の「風たちぬ」の解説の中で、立原道造の詩に少し触れている。それは危険なほど純粋な詩人だと評している。立原道造は戦後日本のモダニズム建築を牽引した丹下健三の一級上で建築家としても優秀だった。けれど13歳の時に既に北原白秋を訪ねていて、詩にも造詣が深かったようだ。
私は現職時代に上司から純粋すぎるから危険だと言われたことがあった。その時、滑稽なことを言う上司だと苦笑いしたことを思い出す。

一柳慧が文化勲章を受章した。学生時代に現代音楽なるものを聴き、フルクサスを知るきっかけになった。図形楽譜や反芸術に憧れ導いてくれ、大変影響を受けた一人だ。
草間彌生も一昨年に文化勲章を授章した。近年、かっての前衛が今では主流になってしまった。
文化勲章を辞退した、河井寛次郎や熊谷守一のような最後までアウトローで一市民でいたい想いも立派だが、現代美術や現代音楽が唯の変り者がする意味不明の芸術だという印象を外すには、時に分かりやすい勲章かもしれない。

蓼科高原で小さな風車とドライフラワーの花束とリンゴジャムを買った。風車は庭に設置して晩秋の風を受けくるくると回っている。ドライフラワーは仕事場の床に置いた。11月の光はなにもかも透明にしてくれると友人の詩人が書いてくれたことがあった。

2018.11.20 / Top↑
美術史家の高階秀爾氏がパリ留学から帰国して間もない頃、スリーピース・スーツを着こなし教壇にたった姿を今でも鮮烈に覚えている。ダンディでエレガンスな雰囲気は当時、美術を学ぶ学生にとっては強いあこがれを抱かせるものだった。

かっての高階秀爾氏を想起させるようなスーパーエリートの若い美術史家から八月某日12時**分にそちらの駅に着くとメールが入った。その日は40度余りの猛暑日だった。私は30分ぐらい前から小さな駅舎の待合で一人の来訪者を待った。高階秀爾氏の後輩にあたるが、留学先はパリではなくニューヨークだったという。駅から10分ほど車で走り私の仕事場に案内した。仕事場が待庵ほどの空間だと前もって伝えてはあったので、狭小空間にはあまり驚いたふうではなかった。中学生時代の作品から現在制作中の作品まで観た後に、イーゼルに掛けてあった「けん玉」を手にしてハイレベルのけん玉を披露してくれた。そうして話し込んでいる間に帰る時間が迫り、急いで駅まで送った。

お知らせ
広島で展覧会を致します。1980年代の重要な作品から新作までを発表いたします。
機会がありましたら、ご高覧ください。

展覧会名:山村國晶展
会   場:天満屋広島八丁堀美術画廊
会   期:2018年8月29日(水)~9月3日(月)
個展用テクスト  B5 10頁

2018.08.24 / Top↑
私が上京し予備校に通い始めた頃、友人に誘われよく新宿にあった木馬や風月堂に行ったことがあった。店はいつも若者で混み相席はあたりまえだった。あるとき相席した若者が私は詩人だと言って「詩人」と書かれた名刺を差し出してくれたことがあった。高校生のころに名刺というものを受け取ったことはなかった私には至極新鮮だった。何よりも「詩人」と名乗ることに強烈な驚きを覚えた。当時、私と同年齢ぐらいに見えたのだが、眼光はするどく、私はひどく引け目を感じ都会には凄い若者がいるのだとショックをうけた。
私も詩は嫌いではなかったし高校時代の友人でフランス文学に熱中していた偏屈者がいた。その友人からダダなどの先鋭的な詩を教えてもらい随分影響を受けた。その友人は後に仏文科の教授になった。

過日、一人の若者から詩集を作ったから読んでほしいと連絡をもらった。今の若者が詩集を作ることは日ごろあまり耳にしたことが無く至極新鮮だった。私が学生時代によく街で「私の詩集」を買って下さいと書かれた段ボールを首にかけ、ガリ版刷りの素朴な詩集を売っていた若者がいた。孤独とか不条理を詠った青年期特有の鋭角な感性の内容だった。そんなことを思い出しながら約束の場所に行き詩集を見せてもらい、一冊買った。孤独とか不条理とかと言った心に突き刺さるようなインパクトのあるものではなく、憧れや夢を湧きたたせるような美しい言葉だった。いささか肩透かしをくらった想いだったが、ネットなどに夢中になっている若者が多いいま、詩を作るという言葉を大切にする生活に憧れているという若者になんだか心惹かれたのだった。

東大安田講堂前の地下食堂に飾られていた宇佐美圭司氏の大作が廃棄されたという。宇佐美圭司氏は私が学生の頃よく訪れた日本橋の南画廊で何度かお会いしたことがあった。当時、先鋭的な新しい絵画の騎手として注目され憧れた作家だった。今では日本を代表する重要な作家だ。作品はコレクターがなかなか手放さなくオークションにも滅多に出ない貴重な作品ばかりだ。廃棄したとは信じがたいのだが愚かとしか言いようがない想いだ。
2018.05.10 / Top↑