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私の住む街は戦後大規模な区画整理事業によって市内の多くの墓地が東部丘陵地に移転した。彼岸の入りには墓参りの人々で混み合う。丘の上に立ち墓地の風景を見渡す度に林立した墓石は、まるで都市の高層建築が林立するディオラマ風景を見るかのようである。戦前、戦後の名建築を壊し新しい高層ビルが経済成長の証かのように、また都市の権力の象徴かのように建てられていく。都市の風景は私には墓場のように見えてならない。

かって、日本で最初に高層ビルを設計しそのビルに事務所を構えた建築家の池田武邦氏がある日、五十階の事務所から一階に下りてみると外は雪が降って、そのとき初めて高層ビルは自然と乖離していることに気付いたという。以降、人工的な空間は人間を駄目にすると、風土に根付いた文化の伝承に努め、自然との協調した生活を大切にすることにしたという。人間は自然から遠のくほどストレスをうけ易いといわれる。

養老孟氏はよく現代人に新参勤交代論を勧める。人工的な都市空間での生活は鬱が心配だという。それの解決方に都市と田舎の往復居住を提唱している。すぐには二地域居住は無理だろう。せめて週末にでも木々に囲まれた森の中でフィドンチッドを浴びながら散策するだけでも心の平安を得られる..。
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2021.03.22 / Top↑
書斎の窓に覆いかぶさる木々がゆらゆらとゆれ、小枝に小鳥たちがあつまり楽しそうにはなしていた。ガラス戸をそっと開け話しかけようとすると小鳥たちは私をみるなり一斉に飛びたっていった。自由に天空を飛び回る鳥たちが今の時世とくに羨ましく思う。新年早々に高尾山で友人と二人で写る写真が届いた。半世紀も前のことだ。私は当時文学好きな友人達と文芸サークルをつくり活動していた。写真はその時に邂逅した友人である。会は年に一回同人誌を発行していた。そこで私はダダのような詩を書いていた。今思うと恥ずかしいようにおもうけれど、青年期特有の鋭角な感性が溢れ出ているようで今でも清涼感を感じるのだ。

新宿や高円寺などの喫茶店でよく部外者の参加者をまじえて同人誌の講評会や文学論を交わした。当時は実存主義の盛んな時代でサルトルやボーヴォワールなどを語る人が多かった。一方私は当時井の頭線の東松原駅近くにあった池田満寿夫さんのアトリエに遊びに行くようになり、富岡多恵子さんや森茉莉さんら可笑しな文人に魅せられ文学により惹かれるようになった。先鋭的な才能ある人々との邂逅は私の思考に多大な影響を与えた。そのことは後年になりより強く感じるのだった。
2021.01.26 / Top↑
ふらっと年賀葉書を買いに出かけ、途中車の窓から手をふる卒業生に遭遇した。ヨレヨレのコートを着てる時に限って遭遇する。よく分かったものだと訊ねてみると、センセイは全然変わってないからという。そんな訳はないだろうと思うのだが。卒業生とはパリのオペラ通りを歩いている時に向い側から呼びかけられたり、ロンドンのヒースロー空港で正面衝突しそになったりして、国内外で思いがけず出会うことがある。

娘家族の海外赴任に伴い久し振りに海外行をと思い立ち、パスポートを更新したのだが残念ながらコロナ禍に阻止されあえなく延期となった。
これからしばらくは年賀状書きの日が続く。今年は予定された発表が中止となり、宛名書きするのは今年初めてである。作品を発表しなかったのは創作活動を始めて初めてのような気がする。ステイホームのお陰で作品を描きためることが出来た。それは私には意外で、思いもよらぬ年となった。

知人の法学者からよくメールが届く。週刊金曜日などの雑誌にもよく執筆している論客だ。理不尽な権力の横暴さに猛然と異を唱えるのだ。スガは稚拙だと厳しい。。

人と会うこともままならぬときこそ、文学や音楽など芸術を通し自己の未知なる部分を探し、自己を拡大する営みとして夢や希望に結びつける良い機会ではないだろうか。


2020.12.22 / Top↑
 哲学者の久野収氏が回顧録で、戦前におきた滝川事件の特色について、危険思想とか嫌疑ではなく国家に批判的な態度をとる学者たちの思想内容に及んだ点であると回想している。今回発覚した日本学術会議会の任命拒否の問題とよく似ている。気に入らない人間を理由も語らず排除するという独裁的思考は行先が不気味な事件だ。

美術史家の高階秀彌氏が過日、某新聞にギュスターヴ・クールベの「秋の海」について寄せていた。
ボード―レール、ヴェルレーヌの詩を引用し、過ぎ去った夏への抑えがたい思いを綴った文章は感動的だった。
高階秀爾氏がフランス留学から帰国して間もない頃、西洋美術史の講義を受けたことがあった。黒板に書かれる文字がフランス語が多く、フランス語が得意だった雙葉学園出身の友人に同時翻訳してもらいながらの受講は学生時代の印象深い想い出である。海外生活の長い友人たちは歳のせいか望郷に掻き立てられ帰国をする人が多い。翻訳してくれたパリに住む友人も昨年の暮れ頃には日本に帰ると、便りがあったきり連絡が途絶えている。再びコロナウイルス感染の猛威にさらされているパリ。心配が募る想いである。
2020.10.20 / Top↑
先年、信州上田市にある「山本鼎記念館」へ自由画教育に関する研究のため訪れことがあった。山本鼎は当時の日本の美術教育が手本を模写する臨画教育を強く批判し、子どもたちに自由に絵を描かせる「自由画教育」を推し進めた美術教育者であり大正デモクラシーの先駆的の一人として位置づけされている。

記念館の帰りみち上田市郊外の塩田平の丘の上にたつ「無言館ー戦没画学生慰霊美術館」に立ち寄った。美術館の周りは夏休み期間中だったが人けはなく静かだった。美術館はコンクリート作りで入り口は小さな木の扉があるだけで受付もなくシンプルなものだった。中に入ると外の爽やかな明るさとは、うって変わって薄暗く静寂な空間に包まれ一気に作品に惹きつけられた。薄暗さに慣れた頃に館内に結構多くの来館者がいることに気付いた。館内の形状は十字架で静寂の中で鼻をすする音が聞こえてくる。夏休みのせいもあり、学生風の若い人たちも熱心に見入っていた。終戦記念日の8月15日にはよくメディアが取り上げている。
以前、画家の野見山曉治さんにお会いした折に無言館の経緯を尋ねたことがあた。野見山さんは自らが出征経験を持ち、館長と一緒に全国を回り戦没画学生の遺族を訪ね遺作を収集したのだと話してくれた。

過日、知り合いの新聞記者から現在、四日市市で「無言館展」を開催してるという知らせをもらった。本来ならば上田市郊外の丘の上にたつ美術館で観るのが本当だろうと思うのだが、戦没画学生が描いた作品と向き合い対話すことで純粋で切ない青春の瞬間に唯唯言葉もなく深い悲しみを覚える。


~戦没画学生からのメッセージ~
戦後75年 無言館展は7月18日から9月6日まで、そらんぽ四日市(四日市市立博物館)4階特別展示室にて開催されています。
2020.07.26 / Top↑