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あの頃、私は毎年夏に松本へサイトウ・キネン・フェスティバルを聴きに行っていた。同僚の江村哲二さんもその年はサイトウ・キネンで発表するのだと・・・だったら、会場で会おうと、いって木曜日の夕方に彼は横浜の自宅へ帰っていった。週明けの月曜日に彼が亡くなっと知らされた。

かっての職場で唯一、尊敬していた同僚に、作曲家の江村哲二さんがいた。現代芸術を心から愛し、私の展覧会にも同じ職場で唯一観に来てくれた理解者だった。展覧会を観にきてくれた時に一緒に仕事をしようとも語った。詩人の瀧口修造の下に集まった芸術家集団「実験工房」の武満徹を尊敬し同郷の一柳慧を熱く語ってくれた。

彼は、実験工房について「私はもっと早く生まれて、実験工房で学びたかった」と常々語っていた。実験工房は戦後日本の前衛芸術運動の先駆的な存在で、武満徹のほかに、秋山那晴、駒井哲郎、山口勝弘、園田高弘ら戦後を代表する若き芸術家らが参加していた。

あるとき、私が蒐集した、ジョン・ケージやジョージ・マチューナス、オノ・ヨウコらの資料を贈ると、彼はオノ・ヨウコの前の旦那が一柳で、一柳はジョン・ケージに学んだと、話が弾んだ。
また私が学生時代世田谷の池田満寿夫さんの近くに下宿を移し、近くに山本直忠、入野義郎さんの住まいがあって、入野さんの家の生垣の前で佇みピアノの響く音を聴くのが楽しみだった、そんなことも話した。前衛芸術や作曲家の話になると留まることがなかった。

六月は彼の月命日だ。職場で音楽を芸術を語れた唯一の同僚を失い、新たな展開もないまま、私は失意のなか退任の時を迎えたのだった。

そして今、「音楽と抽象そして現代美術」と称して、社会人向けの講座をひらいている。それは、私が長年、教育の現場で成しえなかった講座である。


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2013.06.28 / Top↑