FC2ブログ
今年も恒例の松本の音楽祭に出かけた。先年に筑紫哲也氏が「ヨーロッパを一人音楽武者修行した、オザワ青年も65歳になりました」と司会した時から毎年、夏には松本に行くようになった。その時のプログラムはチェロのムスティスラフ・ロストロポービッチ。ヴァイオリンのマキシム・ヴェンゲーロフ。ソプラノ歌手のバーバラ・ポニー等と素晴らしいものだった。サイトウ・キネンオーケストラのメンバーも当時から随分若い世代へと受け継がれ変わっていった。

音楽祭中は松本市内がクラシック音楽で覆われているように感じる。漬物屋にはいても、蕎麦屋にはいても、骨董屋にはいてもクラシック音楽が店内を流れる。蕎麦屋の店員に音楽祭の期間は街中にクラシック音楽を流すことになっているのかと訊ねたところそうではないとのことだった。

信州の晩夏には私は特別な思いがある。それは学生時代に読んだ堀辰雄の「風立ちぬ」の文学と私自身の思い出が激しく交差し我が脳内を駆け巡るからだ。「風立ちぬ」は生きることよりも、死を問い続けた作品のようだが、同時に生きることの意味を問う作品でもある。音楽祭の帰りには高原を車で走り抜け私の夏は終わる。

・・・(それはもう秋に近い日だった)「私たちはお前の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木陰に寝そべって果物を齧っていた。砂のような雲が空をさらさらと流れていった。そのとき不意に何処からともなく風が立った」…風立ちぬの一節より

松本市と音楽
... 続きを読む
スポンサーサイト
2016.09.26 / Top↑