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物体を大量に集めた「集積」シリーズや、粉砕し羅列した「怒り」シリーズなどの作品で知られる、フランスの美術家、フェルナンド・アルマン。私は以前からアルマンという作家に大変興味を抱いていた。
しかし、ブリュッセルにあるベルギー王立近代美術館で観た、名器「ストラディヴァリュウス」を粉砕した作品には驚愕した。もちろん、アルマンの作品が権力や文明批判の表現だということは充分わかっていた。けれどもヴァイオリンだけは許せない想いがあった。

私は幼い頃からスズキ・メソドによるヴァイオリンの音楽教育を受けていた。だから美術家になるより、ヴァイオリニストになるものだと思っていた。親や幼友だちも、そう思っていただろうと思う。父は毎日、フリッツ・クライスラーやジャック・ティボーといった巨匠たちの名演奏のレコードを聴かせてくれた。
やがて、中学生頃になると、エフディ・メニュヒン、ヨーゼフ・シゲティ、ダヴィッド・オイストラッフといった来日する名演奏家たちのコンサートを聴きにいった。

私が最初に生のヴァイオリンを聞いたのは5歳頃に鈴木愼一先生がスズキ・メソドのデモンストレーションで連れて来られた、豊田耕児さんの演奏するユーモレスクだった。なんともいえない美しいメロディーと音色に深く感動した。あの時の心にしみわたる感動の記憶は今なお私の心に強く残っている。

やがて我が家ではホームコンサートをするようになった。「山村弦楽四重奏団」と銘打って、父がビオラ、兄がチェロ、姉が第一ヴァイオリン、そして私が第二ヴァイオリンを(写真右端)。「四重奏団」といっても「始終相談」ばかりだった思い出ばかりだ。
父は来客があるたびに私たちを応接間に集め、ホームコンサートをするのがとても嬉しかったようだった。

しかし、いつの日から私は音楽から美術の道へと傾倒していった。どうして美術の道の方へ、いったかは不確かだけれど、どこか楽譜に従う窮屈さと練習の厳しさから逃避したかったのだろうと思う。
私は現在美術を専門にしているが、幼児期から思春期に育まれた音楽は今の私の創造活動に多大な影響をもたらしているものと思う。

人前でヴァイオリンを弾かなくなって、もう随分となる。ヴァイオリンが大好きだった画家のパウル・クーの研究でベルン美術館を訪ねた時、ディヴェルティメントやポリホニーといった音楽的な作品や、ヴァイオリンを弾くクレーのポートレートを前にし、いつかはまたヴァイオリンを弾いてみたいと思うのでした。




☆アルマンの「怒りシリーズ」で粉砕された、ヴァイオリン、ストラディヴァリュウスが本物であるかは不明である。ただ粉砕された、ヴァイオリンの破片に「Stradivari」と記されたラベルはあくまでも作品としての表示だと思われる。

☆パウル・クレーの作品はベルン美術館に「パウル・クレー・コーナーとして」特陳されていたが、2005年にベルンの郊外の丘陵地にイタリアの建築家、セゾン・ピアノが設計した「パウル・クレーセンター」に移動した。ベルン美術館にも重要な作品は残されている。

☆先年の個展のオープニング・パーティーで私は待望のバイオリンを弾いた。そのことが新聞に掲載され、大いに恥ずかしい思いをした。その時、もう二度と人前でヴァイオリンを弾くまいと誓った。

☆この文章は、名古屋フィルハーモニー交響楽団定期演奏会プログラム「音楽雑記」に寄稿した文章を一部修正加筆したものである。
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2013.06.11 / Top↑
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