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3月8日は池田満寿夫さんの命日だった。私が京王電鉄の井の頭線、東松原駅近くのアパートに引っ越したのは、池田さんのアトリエが東松原だったからであった。いつの日からか何となくだらだらと遊びに行くようになり、池田さん所に集まる人々の刺激的な話を聞いているのがとても心地よかった。いつ行っても前衛的で鋭角な雰囲気だった。傍で会話を聞いているだけだった私は、会話の中にはいることも、質問すら出来なかった。。。

ある時、近くの羽根木公園にキャッチボールをしに行った帰りに、駅前の肉屋でコロッケを買ってもらい食べながら歩いて帰ったことがあった。貧乏学生だった私には大変な御馳走だった。池田さんから直接何かを教わった訳でもなく、友人でもなかった。ただ池田さんの近くに居て薫陶をうけた。ただそれだけだった。けれども私の人生の方向性を決めてしまうかのような激しい季節だったように思える。

池田芸術は知名度は高いが、いまだ正当な評価がされていないとよく聞く。ヴェネチア・ビエンナーレでグランプリを受賞し、小説を書いては芥川賞まで受賞した。世界の名だたる国際展では賞を総なめしている。ドイツの美術史家ヴイル・グローマンやニューヨーク近代美術館のウイリアム・リーバーマンらは池田芸術を激賞した。世界で認められるほど日本での評価が下がると池田さんは苦笑していた。日本人の価値観は特異なところがあるという。けれどもそれが時に異常に思えてならない。

異常といえば、3月2日のニューヨークタイムズ(電子版)で安倍政権の姿勢を「ナショナリズム」と指摘し危険だと訴えたという。現政権が日増しに危険を増大させいることぐらいは多くの国民は感じているはずである。けれども支持率があまり下がらないのは日本人の価値観は、やはり特異で異常としか言いようがないのだろうか。

東日本大震災から三年経ち放射能の危険度が下がったかのようにいわれる。南相馬市などで見つかった「黒い物質」から高濃度の放射能が方出されているという。あれだけの事故を起こしながらも政府や電力会社は原発再稼働をすすめる。

当時のコロッケは今のような挽肉がはいたほくほくのコロッケではなく。ジャガイモばかりで肉などは、ほとんど無いに等しい薄っぺらなもので、新聞紙で作った袋に入れてくれた。

東松原駅前に蕎麦屋あった、そこのアルバイトの女子大生を目当てに多くの学生が行った。ある時期からそのアルバイトがいなくなった時から行くのを止めたのは私だけではなかったようだ。

銭湯の帰りによく待ち伏せているかのように逢う学生がいた。その学生と銭湯の近くの喫茶店に寄り、いつも瓶のままの牛乳を飲んだ。その学生は文学や美術の話がすきだったが、最後まで名前を知らずに終わってしまった。大学は白金の辺りと言っていた。

当時、池田満寿夫さんは富岡多恵子さんと一緒だった。富岡さんの関係で詩人や小説家も多く集まっていた。

池田満寿夫美術館には初期の油絵から全盛期の版画を含め池田芸術の全貌を観ることが出来る。開館の一カ月前に亡くなっている。長野市松代町松代殿10.電話026-278ー1722。

パラミタミュージアムには池田さんの晩年の作品、陶芸作品や般若心経の作品がある。陶芸家としても偉才の持ち主であった。三重県三重郡菰野町大羽根園松ヶ枝町21-6.電話059-391-1088
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2014.03.11 / Top↑
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