私の住む近くの公園にこの時期になると毎年夕暮れ時から蛍の鑑賞に訪れる多くの家族連れがいる。闇夜に飛び交う蛍が放っ神秘的で美しい光のアートに子どもたちが歓声をあげる。大人たちも昼間の喧騒から離れ自然の素晴らしさに感嘆し心癒される。平和な日本の初夏の風物詩だ。けれども、歓声をあげる子どもたちがやがて大人になる頃には戦場に行くかもしれないと思うと恐ろしく思う。

集団的自衛権がだめなら集団安保で武力行使と安倍政権はなにがなんでも戦争に参加したい意向だ。国民の命と幸せを守る為だというが、アメリカと一握りの富裕層のいいなりではないか。改憲ではなく憲法解釈の変更だという。だとしたら憲法の骨抜きであり法治国家ではなくなり権力者の意のままになる人治国家ではないか。法治国家とは法の基本的性格が変更不可能なものではないのか。日本は今とんでもない恐ろしい国家に変容しようとしている。

野坂昭如氏の著書に直木賞を受賞した「火垂るの墓」がある。終戦前後の混乱の中で親や兄や妹を失っていく作者自身の自伝的な戦争の悲劇の作品だ。平和憲法のもと日本は二度と戦争に巻き込まれれることはなかった。けれども再び戦争の出来る法整備が着々と進む。子どもたちに蛍が放っ美しい光は平和のシンボルであって、銃撃戦の火の光であってはならない。

「火垂」は「ほたる」と読む。当時、作者の野坂昭如氏が住んでいた神戸市は第二次大戦末期の6月初旬に空爆を受けた。その時の体験が作品の題材になっている。火は光であり蛍の語源を追うと火垂という説もあるようだ。けれど空爆のあった6月初旬の蛍が放つ光と空爆時の焼夷弾が闇夜で破裂する火がダブル・イメージとしているものだろうとも思える。
「火垂るの墓」は高畑勲監督・脚本でアニメーション映画化されている。

6月と言えば学生時代は19日には必ず三鷹の禅林寺へ「桜桃忌」に出かけた。私が学生の頃は太宰文学のファンは多かったように思う。私も太宰は好きだった。桜桃忌の日以外にも友人とお参り行ったことがあった。太宰の墓の前はいつも花やお供えで華やかだった。向かえ側の森鴎外の墓は静かだった。とりわけ女子学生の熱狂的な太宰ファンが墓標の前で太宰文学を読みふける姿は青春そのもののようで私は嫌いではなかった。現代でもそういう熱狂的な夢追う文学青年たちはいるのだろうか。
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2014.06.21 / Top↑
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